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あさくら人物誌
朝倉の技 シュロ蓑製作の達人 井上輝雄さん

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朝倉市美奈宜神社「蜷城おくんち」で奉納される獅子舞に使用されるシュロ蓑の製作において県の選定保存技術(2016年)に認定された井上輝雄さん

悲しくも2017年7月5日に発生した九州北部豪雨においてその尊い命が犠牲になりました。井上輝雄さんは、生前多くの後継者にその技術を伝えました。

昭和初期に生まれの井上輝雄さん(朝倉市杷木出身)は、祖父の代よりシュロを編む技術を習得され、若い頃は製材所に勤めておられたそうです。定年退職後は、地元の道の駅に正月のしめ縄飾りなどを出したり、祭りの際にはその技術を生かし、伝統技術の保存に努めておられました。その仕上がりは格別で、真似が出来ないほど緻密だったと言います。

現在、美奈宜神社において、この伝統技術を継承しようと「おくんち保存会」のメンバーが活動を続けておられます。お届けする映像は、平成25(2013)年 井上輝雄さんが85歳の時、直接メンバーに指導をされた時の貴重な映像になります。

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■ふくおか民俗芸能ライブラリー 蜷城おくんち(参考)
http://www.fsg.pref.fukuoka.jp/e_mingei/detail.asp?id=10-2

【由来等】
 蜷城おくんちの起源は不明。1509(永正6)年に屋永地区が領主秋月種時より清道旗を賜り、その頃から御神幸及び獅子舞が行われていたといわれている。また1844(天保15)年の「林田宮御神事定書」に1698(元禄11)年以降の、神幸祭についての記載がある。現在の神幸祭は、明治中期のものをほぼ踏襲しているといわれている。

 

【活動の歴史】
 林田美奈宜神社社伝によると、かつての神幸祭は神輿が千歳川を渡り摂社恵利八幡宮をお旅所としていたという。大正初期に千歳川の御渡がなくなり、現在は上畑に御旅所を置き御神幸を行っている。現在、獅子舞が2組、毛槍4組、子供太鼓1組が神幸祭に参加している。獅子舞は、長田、鵜木、中島田の3地区が奉納していたが、中島田の獅子は大正時代初期に途絶えた。長田の獅子舞は第二次大戦後中断していたが、昭和40(1965)年初頭に「蜷獅子会」の前身が結成され復活した。鵜木の獅子舞は昭和52(1977)年から中断していたが、平成13(2001)年に復活した。毛槍は8組あったが、戦後中断し、金丸の毛槍が平成5(1993)年に復活。さらに3組が57年前小学生たちによって受け継がれ長田、片延、福光、金丸の毛槍として現在に継承されている。子供太鼓は、3組あったが、戦後中断した。平成11年に古老より習得し、1組の子供太鼓が復活した。

□「井上輝雄先生を偲んで」 美奈宜神社 宮司 内藤主税http://minagijinjya.com/mino.html

 井上輝雄先生との出会いは平成13(2001)年でした。蓑を作るのにたいへん苦労していた頃、幸運にも井上先生と出会うことができました。その後、保存会は先生の指導をいただきながら、獅子舞用の蓑を制作できるよう精進して参りました。まだまだ教えていただくことはたくさんあったのですが、平成29年7月九州北部豪雨災害が発生。朝倉市に甚大な被害をもたらした災害に巻き込まれ、尊い先生の生命が犠牲になりました。
 先生は、シュロやカヤなどの植物繊維が編める数少ない名人で、県の選定保存技術保持者として初認定されていました。蓑の仕上がりは格別でした。
現在も先生のご指導に恥じないよう、蓑作りに地域一丸となって、蓑作りに励んでいます。

 

Facebook↓ 住民ディレクター 浦 義勝(2022年1月1日投稿より)
https://www.facebook.com/ura.yosikatsu/posts/4606130702817977

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